Journey On

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探究者とは・・・ その2 〜追われるのではなく、追いかける〜

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「結局、探究ってなんなの?」

「探究って誰でもできるの?」

こんな質問を時々いただきます。でも、きちんとお答えできたことはないかも知れません。なぜって、その人の言っている探究と私の言っている探究が同じとは限らないし、誰でもできるようでもあり、でも少なくともある時点ではできていない人がいることも知っているから・・・

 

私が、「探究( inquiry-based learning)」 と呼ばれるものに出会って、そろそろ8年ぐらいでしょうか。実践者としても研究者としてもまだまだこれからなのですが、様々な文献を読み、実際にそのような学びが起きている場にも何度も立ち会ったことで、私自身が目指す「探究」のカタチはだいぶ見えてきたかなと感じています。

 

教師が授業で「探究」を展開していくには、かなり綿密なプランニングが欠かせません。単発の単元だとしても、いろいろなつながりをどうばら撒き、最終的にどのように伏線を回収していくかというところには、それなりの技量が求められると思います。ましてや、本校のように年間を通してずっと「探究」を続けていくには、今までの授業準備・教材研究とは質の違う大変さ(でも、それが醍醐味でもある!)があります。

その反面、人として生きていく中での「探究」には余裕が必要です。遊び心と言い換えてもいいかも知れません。決まった道をひたすら突き進むことと「探究」は少しちがう。たとえ、たどり着く場所が同じだったとしても、そこまでの道程に「探究」が現れる。だから、「探究」の真髄はその「プロセス」にあるのだと実感しています。

 

子どもたちにとっては、授業としての「探究」も、生きていく中での「探究」も同じであってほしい。授業の中で、探究者として生きていくために必要(だと思われる)な知識やスキル、姿勢を身につけ、それを教室の外でも自然と実践している。そんな姿が見えると本当に嬉しくなります。

 

年齢に関係なく、探究者は自分から何かを(たとえそれがはっきりと見えていないことがあったとしても)追いかけているのではないでしょうか。

同じ学習に向かっていても、自ら疑問やテーマについて追いかけている子と課題や締め切りに追われている子では、探究の質が全然違います。「探究」をデザインする側の教師にも同じことが言えます。

 

ここ2年ほど余裕のない日々を送り、常に何かに追われていることが多い身としては、これからの働きかたを本当に考えさせられます。数日前にも投稿したように、日本の当たり前は他の国の当たり前からはずいぶんと遠いところにいるものです。。。

norainnorainbows1718.hatenablog.jp

 

残念ながら、何にも追われない日々が訪れるとはとても思えません。また、それが必ずしもいいことだとも思いません。

でも、帰国してからも、自分の興味や感覚を追いかける時間をもっともっと増やしていきたいです。