Journey On

教育のこと、世界のこと、自分のこと、日々思うことあれこれ

学習者というレンズを通してみた授業風景 〜It's all about lenses!〜

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このコースの初回の課題文献に、学習者の立場からする自分の実践を通して振り返ることの重要性が書かれていて、こんな恵まれた機会はもうないかもしれないと感じていました。

 

せっかくなので、学習者から見た(しかもクラスで一人だけ、いろいろマイノリティ…)今回のコースの様子についてまとめてみたいと思います。最後の授業が終わったら、教授にメールしようかなー。

 

◇教授がとってもフレンドリーで、おおらかな人なので安心。

やっぱり、初めの印象って大事ですね。メールのやりとりが先で、しかも飛行機が遅れて初回の授業には間に合わなかった・・・という気まずい滑り出しだったので温かく迎えてもらえて一安心。細かいところにこだわらないおおらかさもマイノリティから見ると、「合わせなきゃいけない」プレッシャーが減って気が楽です。

私は子どもたちに対して最初からこんなにフレンドリーじゃないなぁ。あたたかく迎え入れているつもりだけど、厳しさも当然ある。大学院だから生徒は学生であって学生じゃないから厳しさは必要ないと思ってる?

私は私の仕事はするけど、最終的には全ては生徒の責任 vs 子どもの命と身の安全は私の責任

この差もあるのかなぁ。

 

◇用意しているパワーポイント資料が時間がないからととばされるのはイヤ。

授業のパワポ資料はその日の授業が終わり次第、すぐにBlackboardにアップされます。だから、とばされたスライドも見ることはできます。でも、イヤなんです。。。なにがイヤなんだろう???

家で自分で復習することを当然としている前提?

時間内に終わらないことがわかっているのに、資料がそのままなこと?→うーん、でも補足資料を用意してくれることそのものは親切でもあるよなぁ。

スライドの解説がないと、そのスライドを用意した意図を理解しきれないから損した気になる??

 

◇グループの組み方をいろいろと工夫してくれるから、いろんな人の意見が聞けてうれしい。

以前の投稿でもお伝えしたように、グループ分けは様々な方法を使って行われます。多分、他にもいろいろと「明日から使える〇〇」みたいなテクニックが盛り込まれているんだと思います。(すでに、自分が使っているものに対してはあまり気づかない)14人いるクラスメイト、それぞれの意見を聞けるっていうのはやっぱり貴重!全体ではこの少人数でもここまで深くは聞けないもんなぁ。さらに、マイノリティだからこそもつ疑問とか、文脈がよくわからないが故の質問とかは、全体では聞きにくい。このワンクッションとっても大事。

私も 個人ワーク→ペア・グループワーク→全体共有 という形をよく使うけど、単純に子どもの活動時間を増やすとか発言に対するハードルを下げるとかだけではない、グループワークの良さを感覚的に捉えられたなぁと。しかも、それを能力的には不利な点がある立場から改めて実感できたことは貴重でした。

 

◇この教授がつくったルーブリックじゃないとわかっているから、どこまで厳密に評価されるのか懐疑的。

小学生相手じゃないので、そもそもルーブリックの確認はサラッとしかやりません。細かいところを自分で確認していると、「あれ、これ教授が言ってたこととちょっと違う。。。」という箇所が時々あります。(このコースはイントロのコースなので、いくつもセクションがあり、毎夏、基本的には同じ内容が繰り返されているよう)本当にこのルーブリックの通りに評価するんだろうか・・・という疑いがもくもくと湧き出てきます。そうすると、「あ、この辺はテキトーでいいかな」とか、「ここで求められてることの意味がよくわからないからスキップ」とか自分に都合のいいように解釈している私がいます。

もし、これがこの教授のオリジナルのルーブリックだったら、多分質問しに行ったと思う。でも、教授にとってもそんなに思い入れがないんじゃないかと感じているから、そこまでしない。費用対効果的な思考がはたらいているのかもしれません。

これは、子どもたちもおんなじなんだろうなぁ。学年で内容を揃えたりするときに、他の人が作成した資料を授業で使うことはよくあるはず。その時に、それをどれだけ教師が自分のものにできているかどうかで、子どもたちのモチベーションやパフォーマンスが変わってくることが予想できます。また、教師の思いや熱量が影響を与え得るということも・・・。やっぱり、「自分ごと」は学びにかかわるすべての人にとっての鍵なんだと強く感じています。

 

◇メールのレスポンスが早くて安心。でも名前のスペルミスは大減点!

私の名前は、アメリカ人にはなかなか難しいようです。ローマ字表記と発音が一致しない。発音できても、母音が続くためスペルミスが多い。日本人にとってはそこを間違えると別人の名前だよ!!となってしまうのですが・・・(笑)

もちろん、私も発音に関しては人のことは言えないので、ある程度は黙認。「あ、それ、私のこと?」と思ったらひとまず返事をします。機会があれば、訂正しますが、なかなか言いにくいのも事実。(もちろん、逆の立場だったら「早く言ってよー」と思うのもわかっていますが・・・)

でも、発音ではなくスペルミスは別次元の話だと私は捉えています。だって、書くときに確認すればいいだけだから!そんな細かいこと・・・と思うかもしれませんが、そういう細かいところに人の気持ちは反応するんだということを改めて感じました。

子どもたち一人ひとりの名前やどう呼ばれたいのかを大切にしなくては!

 

◇お菓子差し入れをしてくれると、あー、わかってくれてるなぁと思う(笑)

2回ほど教授がお菓子を差し入れてくれたことがあります。「今日は内容がヘビーだから・・・!」と言いながら。授業が3時間続くことや夕食時と重なることなど、いろいろと配慮してくれているんだと思います。あー、この教授も同じ道を通ったんだなぁと勝手に仲間意識をもってしまいます。

やっぱり、こういう「あ、わかってくれている」と感じることって大事ですね。それはさりげない配慮かもしれないし、はっきりと言葉にして表現してくれることかもしれない。子どもたちそれぞれのニーズは違うけれど、一人ひとりが1日に一度はそう感じることができるような環境づくりを心がけようと気持ちを新たにしています。

 

◇ディスカッション中にちょっと不穏な空気が流れても、それをからめながら上手に本題に戻していたところがすばらしい!!

基本的にアメリカ人は自己主張はいいことだと思っているので、空気を読まない発言は少なくありません。日本人の感覚からするとびっくりするようなことはよくあります。私が授業中に一番気になるのは、本人にしか関わりのない質問を全体の時間を使って長々とすること。なんで、授業前や後に個別に聞きにいかないんだろう?と不思議で仕方がありません。そうじゃなくても、時間が足りないのに・・・って。

いやいや、もう少し言い方考えようよ・・・。という言い合いがおこった時に、教授がどちらを否定するでもなく、それぞれの主張とその時のトピックの本質を絡めて全体への問いかけへと変換した手腕に感心しました。言い合いに割って入るタイミングも、問いかけた内容も本当に自然で、どちらも嫌な思いをしなかったのではないかと思います。

探究を進めていくと、話し合いが本題から逸れていくことも、どちらかの意見が明らかに間違っていることもよく起こります。それをいかに子どもたちのやる気を削がずに軌道修正するのか・・・。彼女の手腕をぜひ見習いたいです!!

 

◇コースがもうすぐ終わりだというのに、成績がまだ何もついていなくて・・・? 

 成績はすべてBlackboardにアップされます。でも、現時点で私は100点満点中0点です・・・。すでに、評価対象の提出物を10個提出しています。いわゆる授業態度に関する評価はいつも最後まで点数がつきませんが、こんなに提出物に点数がつかないのは初めてです。つまり、現時点で私は自分の成績がどうなるのか全く予想ができないということです。これはこの教授の怠慢ではなく、このコースの設計上の問題。わかってはいるのですが、やっぱり不安も伴います。(私のプログラムはB−以下の成績だと単位として認めてもらえない・・・)提出物に明らかに問題があれば知らせてくれるはず。何も言ってこないということは、大丈夫なはず。と思っても、悪魔の囁きは続くのです。

評価に関しては、私もまだまだ模索中。形成的評価の大切さは十分に理解しているつもりですが、それだけではなく、ある程度はわかりやすい形での評価(点数やレターグレードなど)がある方が学びは加速するのではないかと感じています。安心感につながるのかな。これは、今後じっくりと検討したい課題です。

 

 

同じ学習者の立場でも、ルームメイトから見た授業風景はきっと違って見えることでしょう。

 

その人その人が知らずにかけているレンズには様々な経験や文化が詰め込まれているから、人数分の風景がそこにはあるということ。

 

そのことを忘れずに、自分の教室の情景を探っていきます。