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多様性は強み! 〜それとも、これも思い込み?〜

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トランプ大統領の失言(いや、失策?)が大バッシングを受けている中、オバマ前大統領は訪問中の南アフリカでW杯優勝の仏チームを引き合いに出していかにdiversityが重要かを力説していました。

 

日本語では多様性と訳されることが多いこのdiversityは、高校生の頃からの私のテーマでもあります。当時は民族共生という言葉の方がより一般的だったと思いますが、互いの違いを大切にして共に生きていくという点では同じ。

民族の違いは、人種、宗教、言語、風習などと強く結びついていて、ある意味で違いがわかりやすかったんでしょうね。今は、もっとずっと複雑です。複数の文化にルーツを持っていたり、性別や性的指向も簡単には割り切れないことが増えてきていたり…

ポリティカルコレクトネスを気にし出したら、何も言えなくなるんじゃないかと心配になるぐらい。(このポリコレという言葉、こちらではもうほとんど聞かなくなりました・・・)

 

留学を筆頭に数々の経験を通して、私は多様性が生み出す豊かさを繰り返し実感してきました。だからこそ、教室の中も多様であった方がよりよいコミュニティになっていくと信じています。

ここ数年は、子どもたちにもはっきりと言葉に出して、「多様性は強みである」と伝えています。今の学校は、文化的経済的水準が比較的似通った子どもたちが多いのでほんの些細な違いにも敏感に反応する子も。違いを発信する側も、受け取る側もそれを当たり前だと感じられるようになってほしいと思っています。

 

と、思っていたのですが、

 

アメリカにいるとその信念が揺らぐこともあるのです。。。揺らぐというと大げさかもしれませんが、本当にそうなのだろうか?と突きつけられることが多い。例えば、教室の中一つをとってみても、英語のレベル、家庭環境、教育に対する価値観がバラバラであることは珍しくありません。(もちろん、もっと他にもたくさん!)それそれの違いに対応しようとするとリソース不足は必然。

クラスメートの話を聞いていても、効率が悪いのでは…と感じることが多々あります。こちらの公立高校(地域によっては中高が一括り)には入試がないので、日本の高校のようにレベル別に分かれていません。が、高校までが義務教育なので中退者の割合は大きな問題となります。(アメリカの公立と私立の違いは日本より複雑なので、ここでは一般的な公立学校だけに言及しています)

 

多様性だけを考えれば、当然アメリカの公立高校の方が日本の多くの公立高校よりも恵まれた環境にあると言えます。では、果たしてアメリカの方が恵まれた教育環境にあるのかというと・・・きちんと文献にあたったわけではないけれど、一般的に見て多様性と教育効果の高さにはプラスの大きな因果関係は見つけられないのではないかと思います。もしかしたら、マイナスは見つかるかも…でも、そんなこと公には口にできないだろうし。

 

多様な個々が共存しているということは、それぞれのニーズに合わせるのは至難の技ということです。この辺りの具体的な状況は、日本の学校で「普通に」育ってきた人には想像することさえ難しいかも知れません。私も大学院での様々なコースで何度もその壁にぶつかりました。

 

例えば、ある教室の人種構成(この表現も厳密にはポリコレ違反と言われることが・・・)が、半分ヒスパニック系、4分の1黒人、4分の1アジア系だったとします。ちなみに担任は白人女性。この先生がクラスの子どもたちに絵本の読み聞かせをしようと考えたら、主人公や重要な登場人物の人種を考慮することが必要です。物語の文脈と自分の環境が違うと、そこに自分自身を投影できません。当然、そのような乖離が起きてしまえば学習効果も下がります。マイノリティであればあるほど、その傾向は顕著だそうです。クラスのみんなが物語の文脈と自分のつながりを見つけて、お話の中の世界にひたることができる。そんな本が果たしてどれくらいあるのでしょうか・・・。

 

私はそれまで、物語の主人公が自分と違う人種だからといって、物語に入り込めないなんていう経験をしたことがありませんでした。むしろ、非日常へ連れていってくれる物語の面白さにワクワクしていました。でも、それはきっと、私が生まれてからずっと、日本という社会の中では、メインストリームを歩いてきたからです。髪の色や肌の色の違いを気にしたことがなかったし、マスメディアから「お前の所属しているグループは異端なんだぞ〜」という裏メッセージを受け取ったこともなかったから。ましてや、同化政策の餌食になんて・・・。

 

こちらの教室で、学級全体でコミュニティをつくろうとすると、まずお互いの共通点を探していかなくてはならないそうです。突き詰めて行くと、「お互い同じ人間なんだから互いにリスペクトし合おう」というところがスタート地点になる。私たちが当たり前だと思っている前提にたどり着くまでに長〜い道のりがあるのです。

 

※ちなみに、私は日本では逆なのではないかとずっと感じています。共通点を探すのではなく、相違点を大事にすることが寛容なコミュニティにつながっていくと。しかも、同じ教室の同じ班の中での違いを認識することはけっこう難しいことが多い。みんなの中に「同じで当たり前」という思い込みがあるから。そこを考えていくのに、国際理解協力は学級のコミュニティづくりに大きく貢献すると思って実践してきました。

 

ほら、本当に多様性は強みなんだろうか???と迷ってきませんか?

きっと、人種別に学校や学級を分けた方が教育効果は上がるのではないでしょうか?

いや、人種別だと大問題になるので、能力別?家庭環境別??

 

もちろん、本気で言っているわけではありません!!

 

教育効果とは何かというところから検討が必要ですし、そもそも強みを定義しないことにはお話にすらなりません。

でも、自分がそうだと思っていたことに疑問を突きつけられることは間違いない。

 

実は、これこそが多様性がもたらす豊かさの源だと私は思っています。

 

アメリカの教育現場の実態に触れる→日本の状況との違いに驚く→今までの「当たり前」が崩れ去る→新たな視点を得る→自分の「思い込み」をその視点から検証する

 

多様性に触れるということは、自分の中にある視点が増えるということ。

視点が増えれば、それだけ検討できる範囲や角度が多くなるということ。

 

ある一定の場所からしか物事を見られない人たちが決めた仕組みの中で生きていくことは、その場所とは違うところから物事を見ている人々にとってはきっとすごく苦しい。

 

豊かなコミュニティをつくるということが、少しでも苦しむ人を減らすことからスタートするのだとしたら・・・。

 

やっぱり、多様性は強み!!