Journey On

教育のこと、世界のこと、自分のこと、日々思うことあれこれ

2021夏 ブログマラソン④ 【概念型探究と子どもたちの変化】

このブログマラソンも折り返し地点です。今日は、概念型探究に取り組んだことによって子どもたちにもたらされた変化について見ていきましょう。これも、概念型探究だけが原因ではないと思いますが、印象に残っているエピソードTOP 10です。

 

  • とにかく、書く量が増える!年度のはじめには、振り返りジャーナルを4行書くのにも四苦八苦していた子たちが、1年が終わる頃にはA3サイズの振り返りシートにびっしり自分の考えを書くように。文章としては拙いこともありますが、表現したいことがどんどん溢れてくるようです。

 

  • そして、よくしゃべる!!ペアワークやグループワークでも、大抵の場合は設定した時間では足りません。学級全体での共有場面では、誰かの一言に触発されて新しい考えが浮かんできたり、あえて反対側から見た意見を言って見たり。お互いの発言を受けて次の発言が・・・というようにどんどん積み重なっていきます。ぼそっと聞こえてくる呟きが本質をついていて、みんなではっとするなんてことも。誰も正解をもっていないんだから、何を言っても大丈夫という安心感が大きいのかもしれません。

 

  • グループ編成に頓着しなくなる。探究では、グループで課題に取り組む機会がたくさんあります。年度半ばぐらいに差しかかると、そのグループのメンバー構成をあまり気にしなくなる子がぐんと増えます。誰とやるかよりも、何についてやるのか、どうやるのかの方が重要になるということかなと思って見ています。新しい顔ぶれの方がわくわく感が強いと言っていた子もいました。もちろん、そうは言っても、グループ活動中のもめごとは避けて通れませんが、それもプロセスだとわかっているようです。

 

  • ツッコミ名人になる。探究の時間の私の大きな役割の一つに、子どもたちの言うことにがんがんツッコミを入れるというものがあります。「なんで?」「と、いうと?」「〇〇とどう違うの?」「だから?」「他には?』「具体的には?」「つまり?」などなど、これでもかとツッコミます(笑)。習うより慣れろということなのでしょうか。月日が経つにつれ、私の出番はどんどん少なくなります。他の人の発言につっこめるようになると、いつのまにか自分自身にもツッコミが入れられるようになっていきます。そうなると、自分だけで、考えを広げたり深めたりすることができるようになります。

 

  • リフレクションの質が高くなる!!探究サイクルを自分で回していくには、振り返りが欠かせません。そこまでの学習の成果を振り返る。自分の課題について次の一手を考える。ある事柄について自分なりの解釈を整理するために、自分の考えや思いを客観的に見つめる。そのような活動の中で、ぐっと本質に迫ることができるようになります。自分で自分にツッコミを入れながら、自分と向き合っている様子が見られます。

 

  • 自分の興味や関心に引き寄せる力がアップ!以前にもお伝えしたように、概念型探究は構成的でもあるので、子どもたちから見ると、いつでも自分の好きなことを学習しているわけではありません。学年によっては、お題が上から降ってくることの方が自分で選択肢の中から選ぶよりもずっと多いです。だからこそ、与えられたトピックや問題と自分自身の興味や関心をつなげられるようになることが大きな鍵となります。抽象的な概念を取り扱うことが多いからか、子どもたちは一見目に見えないようなつながりを見つけ出したり、少し違った角度から見ることで新たな面に光を当てたりしています。少し無理やりにでも引き寄せる!そこから次の一歩が見えてくるのかもしれません。

 

  • 多角的に物事を見る力が養われる。ある概念や事象を立体的に捉えるためには、様々な角度から見たり、考えたりすることがとても重要です。自分一人ではなかなか難しいことも多いのですが、他の人との意見交流や、誰かに(何かに)なりきることから、良い刺激を得ているようです。探究では自分以外のものの見方や考え方に触れる機会がとても多く、また、批判的に物事を見ることをとても大事にしています。多角的に考えることができるからこそ、楽しんでディスカッションをしているのだと思います。

 

  • 「失敗から学ぶ」マインドセット以前にもお伝えしたように、探究を進めていくと上手くいくこともあれば、上手くいかないこともあります。一見すると、明らかに失敗したことでも、肝心なことはそこから何を学ぶかです。それがわかっている子は、必要以上に落ち込みません。細かいことに一喜一憂せずに、状況を分析している姿は頼もしくもあります。そこには、失敗を次に活かすことができるという自分自身への信頼も含まれているように感じます。

 

  • 見えないものを面白がれる。探究では、わからないことやはっきりしないこともたくさん出てきます。大人が解決できないような問題に取り組むこともあります。子どもたちにとっては、その壁はより大きく感じられることでしょう。それでも、探究を積み重ねてきた子どもたちは、見えない関係性を見つけ出そうと目を凝らしたり、難しくてよくわからないという状況を面白がったりしています。好奇心の感度を取り戻しているかのように、じっくりと周囲を観察しているのです。

 

  • 「無限ループ!!!」3年生の終わり頃、子どもたちが気づいたことを矢印を使って黒板にまとめていたら、ある男の子がそう叫びました。「探究には終わりがない!!」「私たちの成長にも終わりはないよね。」「完璧なんてなくて、より良くしていくことはいつでもできるんだね。」次々に、子どもたちが発した言葉。学びにはたくさんの無限ループがありますね。

2021夏 ブログマラソン③ 【概念型探究と授業実践】

授業実践について書こうと思い、今までの探究のユニットについて思い返したところ・・・。

  • 担任として取り組んだ探究は、27ユニット、総時数は1500時間余り。
  • コーディネーターとして関わった探究は、この1学期末までで46ユニット。
  • 6年生の個人またはグループ探究のメンターを3年間。

印象に強く残っているユニットもうまくいかなかったユニットも数えきれません。これだけのボリュームの実践を1回のブログにまとめることはやはり無理があったので、また別の機会に譲るとして、今回は授業実践がどのように変化したのかについて取り上げたいと思います。

 

大学院に進学する前は、私は公立小学校に勤めていました。経済的・文化的水準の高い地域の学校だったので、学力の高い子どもも多く、学級は落ち着いていました。1年目の比較的早い時期に、教科書にそった授業はこの子たちには物足りないんだなぁと思ったことをよく覚えています。それ以降、授業づくりに試行錯誤を繰り返し、合科型の授業実践を行っていたことは以前のブログに記した通りです。

その頃の実践と概念型探究の実践とでは何が違うのでしょうか。いろいろとあるのですが、特に大きな変化は次の3つ。ただ、今回の変化に関しては、純粋に概念型探究がもたらしたものだけではないかもしれません。教師としての経験の差も大きく関与しているように思います。

 

①「授業はすべてプロセスである」と保護者にも子どもたちにもはっきりと言えること。

②事前準備にかける時間は以前の数倍以上、でも単元が始まると設計は手放して、子どもたちと一緒に学ぶこと。

③単元が始まったら、ハードワークをするのは子どもたちで私ではないこと。

 

 

①「授業はすべてプロセスである」と子どもたちにも保護者にもはっきりと言えること。

 

公立小学校にいた頃、研究授業や授業参観、学習発表会などを前にして、「何とか仕上げなくてはいけない!」とよく思っていました。研究の盛んな学校にいたこともあって、そういう場面ではある種の成果を披露するものだと思い込んでいたのでしょう。単元や本時のねらいは達成できたのか。子どもたちはきちんと発表できたのか。今考えると、なぜそんなことに重きを置いていたのだろう・・・と不思議に思うほど、子どもたちの学習の方向の舵取りをすることに懸命でした。

ところが、探究は私の思い通りには決していきません。というか、思い通りでは面白くないんです!!概念型探究の大きな魅力の一つに、「構成的だけれどとても創造的でもあること」を私は挙げています。保護者や外部の方に説明する時に、「目の前の子どもたちと私だからこそ創造することのできる唯一無二の学びである」とお伝えしています。

完璧もない代わりに完全な失敗もあり得ません。それが、45分間の授業でも、単元の終わりの発表会だったとしても。すべては、「終わりのない旅」(ある子どもが探究について表現した言葉です!)の途中の通過点です。そこまでの成果もあれば課題もある。いい時もあれば悪い時もある。そして、何よりもみんなが同じペースで同じ道を行かないからこそ、共有するときの面白みや有り難みが増すということを実感する。

そこには、「何とか仕上げなくては!」が入り込む隙は全くありません。

探究の時間の参観者はいつでもウェルカムでした。ありのままを見ていただくのみです。

子どもたちも見られていても、プロセスが大切なのだということがわかっているからか、いつでも自然体です。笑ってしまうぐらい。

授業参観や発表会に来てくださる保護者の方にそれをわかっていただくには、時間がかかることもありますが、学級通信や保護者会等で説明を重ねていくうちに、子どもたちの姿に「みんな同じ(レベル)」を求めなくなります。

 

 

②事前準備にかける時間は以前の数倍以上、でも単元が始まると設計は手放して、子どもたちと一緒に学ぶこと。

 

探究の時間の授業でも教科書を使うことはよくありますが、探究の教科書はありません。ですから、いわゆる教材研究はゼロベースからのスタートであることが多いです。そもそも、学習のねらいはもちろん、学習の流れや内容、評価についても自分たちで決めなくてはいけないので、とにかく設計には時間がかかります。(設計については、ブログマラソン⑤でもう少し詳しくお伝えしたいと思っています。)

単元の設計を始めてから、振り返りを終えるまでに、少なく見積もっても、きっと授業時数の3倍の時間は費やしているのではないでしょうか。その大半は、単元が始まるまでに必要とする時間です。とにかく念入りに準備して、その時のテーマや指導内容について造詣を深めるだけでなく、子どもたちの興味・関心の行方や反応についてもいろいろと検討します。

ところが、実際に単元が始まったら、その設計を手放すことがとても大事です。指導案通りに授業をすることに注力していた頃とは大違い!(正確には、その設計をないものとするわけではなく、修正をどんどん重ねていくのですが・・・。)私は「教える」側ではなく、子どもたちと「共に学ぶ」側になるのです。もちろん、ある程度の流れが見えている私が、意図的に子どもたちを揺さぶったり、けしかけたりすることもありますが、多くの場合は、本当に子どもたちの考え方や世界観から様々なことを学んでいます。

当然、こちらの当初の想定を軽々と乗り越えてくる強者たちが出てくることもよくあります。彼らに突きつけられた問いを本気で考えなくてはいけないときの喜びといったら・・・!これぞ、教師冥利に尽きるということなのかもしれませんね。

 

 

③単元が始まったら、ハードワークをするのは子どもたちで私ではないこと。

 

②で述べたように、概念型探究を設計することは面白いことではありますが、決して楽なことではありません。ただ、私が大変なのは準備までで、実際の授業で大変なのは、どう考えても子どもたちの方です。前回も書いたように、子どもたちはとにかく頭を使い続けます。それは、自分で意味を構築するために考えることはもちろんですが、課題の締め切りまでの時間管理や同じグループのメンバーとの役割分担・調整など多方面に渡ります。

PYP(国際バカロレア初等教育プログラム)では、学び方を学ぶことを非常に重要なことだと捉えています。自ら学び続ける力を身につけるためには、教師が先回りして何でも手助けしてあげることは望ましくありません。必要だと思われるサポートの準備はしておきますが、基本的には助けを求められるまでは介入しないようにしています。その分、子どもたちは派手に転んだり、必要以上に遠回りをしたりすることもあります。が、それも、自立して学ぶための大切なプロセスです。

また、自立して学ぶためには、適切な自己評価ができることも重要な要素です。子どもたちは、多くの活動を通してルーブリックやチェックリストと照らし合わせた自己評価や相互評価の経験を積み重ねていきます。何十人分もの課題の評価は一苦労なのですが、これも子どもたちが自分自身でやってくれます。もちろん、子どもたちの自己評価・相互評価が妥当なものになるまでには、丁寧なフィードバックと振り返りが欠かせませんが、全部私一人でやらなくてはいけなかった頃に比べるとかなり余裕ができました。

コーディネーターとして、他の教員にアドバイスする時にも、「授業中に子どもたちの方が楽をしているようだったら、それは設計ミスです!」と言っています(笑)。

どの代の子どもたちを思い浮かべても、彼らは自分の力が試されている、このチャレンジングな学習を実はとても気に入っていたんだと私は確信しています。

 

 

今回の内容はみなさんが、予想していた授業実践とは随分かけ離れたものになってしまったかもしれません。。。具体的な質問などがあれば、参考にしたいのでぜひお聞かせください。

 

 

 

 

 

2021夏 ブログマラソン② 【概念型探究と学級づくり】

【概念型探究と学級づくり】

 

ブログマラソン3日目の今日は、探究型概念と学級づくりの関係についてお話しします。

私はここ5〜6年間、これと言って学級づくりのための取り組みをしていません。探究の時間が教育活動の核となっていて、特別な取り組みをする必要性をあまり感じなくなったというのが正直なところでしょうか。もちろん、時間的な制約があって取捨選択していることも事実ですが。なぜ、学級づくりのための取り組みの優先順位が下がったのか?

公立小での経験と探究に取り組み始めてからの学級の様子を振り返ってみると、「概念型探究」がもたらすプラスの影響は次の3点に集約できるのではないかと思います。これは、どのような「たんきゅう」でも起こることではなく、概念について学ぶことがもつ強みだと私は考えています。

 

①学級の共通言語や価値観の形成

②学校にいる時間すべてが地続きの学び

③多様性は強みであることへの実感

 

それでは、一つずつ見ていきましょう。

 

 

①学級の共通言語や価値観の形成

 

前回お伝えしたように、概念型探究では様々な活動を通して、

 ある概念に対する理解を広げたり、深めたりしながら、自分自身でその概念の意味を構築していく

ことを目指します。 普段、何気なく使っている言葉も、初めて聞いたような言葉も、同じようにそれって本当はどういう意味なんだろう?その言葉にはどんなことが含まれているんだろう?ということを繰り返し考えていきます。その概念について、自分で、そして学級のみんなで紐解いていくわけです。

例えば、「自由」。子どもたちは、何かにつけ「自由がいい!」と言うことがありませんか?そういう時に、「自由と好き勝手は違います。」というような話をされたことがある方は少なくないのではないでしょうか。

概念型探究で「自由」を取り扱うと、そんなことを教師である私が言う場面はなくなります。本当の自由とは何なのか。自由ではないとはどう言うことなのか。自由の価値とは何か。ああでもない、こうでもないと意見を交わす中で、その学級なりの「自由」に対する定義と価値観が形づくられていきます。実際の体験や交流を通して、自分で意味をつくりだそうとしているので、子どもたちの記憶に刻み込まれます。他の経験や新しい文脈と結びつけることも軽々とやっているように見えます。

そう言う共通言語を積み重ねていくことそのものが、その学級独自の文化となり、そして、豊かな語彙は、豊かな対話を生み出すことにつながるのだと実感しています。

 

自由についての探究は、2年前にこちらにも書きました。

 

norainnorainbows1718.hatenablog.jp

 

 

 

②学校にいる時間すべてが地続きの学び

 

探究の時間が教科融合型の学習であることは、子どもたちも理解しています。それなので、他の教科の時間にも、その時、または以前にやったことのある探究について言及する場面が頻繁に見られます。概念は、時や場所に限定されません。だからこそ、子どもたちは、学校にいるすべての時間を通して、その概念について学び続けています。もちろん、大半の子どもたちには、学び続けているという意識すらないのかもしれません。

ただただ、その概念に対するアンテナが高く伸びているだけなのです。そして、見るもの、聞くものすべてにピピッと敏感に反応する。。。

朝礼での校長先生のお話を聞いていて、その時の探究と関連している概念が出てくると、クラスの大半の子の頭が同じ瞬間にふっと動く様子はとても微笑ましいものです。休み時間の誰かの発言に反応したり、校内の掲示物について知らせてくれたり。もちろん、学校の外でもアンテナは高感度抜群です。

こうなってくると、自然な一体感が生まれます。決まった答えがあるわけではないと、よーく分かっているからこそ、クラスのみんなが探検のパートナーです。もちろん、私が答えを持っていないことも知っているから、担任も含めたチーム。さらに、探究に終わりはない。必要に応じて、協力したり、手を貸したり、意見を戦わせたりします。一致団結!!というような強さはないかもしれませんが、だからこそイベント限定ではなく、毎日の営みの中で形を変えながらつながっていられるのかなと思います。

 

 

③多様性は強みであることへの実感

 

子どもたちは、探究の時間においてとにかく考えること、意味を創り出すことを繰り返し要求されます。概念を多角的に見て、立体的に構築していくときに、自分と同じ考えや意見ははっきり言ってあまり役に立ちません。もちろん、はじめの頃は、子どもたちも他の人が同じように考えていることが安心につながっていたでしょうし、人と違った意見を言いたがらない子もいました。でも、誰かの考えに触発されて新たな考えが浮かんでくるという経験や、いつもとは違った切り口から見たことが意味の構築に役立つという経験を何度も繰り返すことで、徐々に多様性がもつ強みを実感していきます。

また、誰も(担任の私でさえ)確かな答えがわかっていない学びに向かっていることで、わからないと率直に言えるようになります。「わからないことが出発点。」「難しいからこそ面白い。」どちらも探究の時間に子どもたちがよく口にする言葉です。

探究のテーマや取り扱う概念によって、活躍する子が変わることもよくあります。アイディアはたくさん出てくるけれど、それを形にすることが苦手な子もいれば、書くことを通してであれば、自分の考えを主張できる子もいます。

相手の考え方やものの見方の違いを知り、それによって自分の考えが広がったり深まったりすることを実感することから始まり、コミュニティのメンバーそれぞれが活躍する場が広がっていく。そういうプロセスを自然に、そして何度も繰り返しながら辿っています。

 

 

以上の3点に加えて、探究の時間の中で、子どもたちが学級のためのプロジェクトを企画したり、自分たちが楽しむためのイベントを実施したりすることもあります。学年が上がるにつれて、授業とお楽しみを融合されることが上手くなっていくなぁと感心しています(笑)

 

みなさんは、何を目的として学級づくりをしていますか?

 

 

 

 

 

 

2021夏 ブログマラソン① 番外編 【概念型探究とは・・・?】

ブログマラソン2日目にして、早くも番外編(笑)

【概念型探究と学級づくり】の前に、概念型探究について、私がどう位置づけているかを簡単に説明したいと思います。

 

 前回も書いたように、「たんきゅう」には本当に多くの捉え方がありますよね。学校教育の中のいわゆる授業だけを切り取っても、何通りものやり方があるのではないでしょうか。ここでは詳しく触れませんが、私は小学校段階から子どもたちが日常的に「探究」を積み重ねていくことで、本当にたくさんのものを獲得することができると実感しています。

 

私にとっては、この場合「探究」=「概念型探究」です。

 

概念型探究では、文字通り、ある特定の概念について探究していくことがベースとなります。その探究を通して、概念の獲得を目指します。ここでいう概念の獲得とは、ある概念に対する理解を広げたり、深めたりしながら、自分自身でその概念の意味を構築していくことを指します。当然、個人の発達段階や経験によって、「自分で構築した意味」には差が出てきますが、それでいいのです。決まった答えへの到達や辞書の意味をなぞることを目的とはしていないからです。自分自身で意味を創り出していくことこそが、この学びの真髄だと私は考えています。そもそも、学ぶこととは自分の周りの世界に対して自分なりの意味を見出していくことに他ならない。そう思っています。

 

「答えが決まっていない」となると、じゃあ、何でもありってこと??と懸念する方も少なくないでしょう。

概念型探究では、単元の設計段階で、セントラルアイディア、ビックアイディア、ジェネラリゼーション(一般化)などと呼ばれる、二つ以上の概念の関係性を一文に表したものが用意されます。そして、この一文を子どもたちが自分で導き出すことができるように学習活動を設計することが教師の大きな役割です。もちろん、この一文がその文脈の中で適切かどうかということが非常に重要な鍵となることは言うまでもありません。当然、この一文を考え出すことはなかなか骨の折れる作業ではありますが、醍醐味でもあります。

 

このように教師が準備、設計する部分が大きいということは、ある意味とても構成的な学びであるということは疑いの余地はありません。と同時に、概念の抽象度を高くすることで、子どもたちに委ねる部分を大きくすることも可能です。

何のためにこの単元について学ぶのかという"Why"の部分は教師が決めるけれども、場合によってはどのように学ぶのか("How")や、何を学ぶのか("What")については、子ども自身で選択することができます。というか、そうなるように導くことがねらいの一つでもあります。

 

また、概念型探究は教科融合であるということも大きな特徴の一つです。概念をメガネのように使って自分の周りの世界を眺めたり、ある概念でいくつかの事象を串刺しにすることでその共通性を見出したり。そんな学び方から、子どもたちは多くの発見や疑問に出会い、目をキラキラと輝かせながら活動し、自分の考えを展開させていきます。

 

概念型探究がどのように子どもや教師に変化をもたらしたのか・・・

次回以降、詳しくお伝えしていきます!

 

 

 

 

 

 

2021夏 ブログマラソン① 【概念型探究と私】

この夏のチャレンジとして、1週間のブログマラソンをスタートします!

この7年間探究に取り組んできたことをまとめてみたら?と声をかけていただくことが増えました。とりあえず、やってみよう!ということで、まず1日目。

 

【概念型探究と私】

 

ここ数年、本当に多くの場面で「探究」という言葉を見かけることが増えました。もちろん、教育とは関係のない文脈の中でも。

社会人になってから通信教育で教員免許を取得した私は、「専門は何ですか?」と聞かれてどう答えていいのかよくわからない時期がありました。それを曲がりなりにも「うーん、探究でしょうか。。。」と答えるようになった今、探究と私について改めて振り返ってみたいと思います。

 

「たんきゅう」と聞いて、みなさんはどんなことを思い浮かべますか?

探究と探求の違いにはじまって、実に様々な意味や方法、スタイルを内包している言葉ですよね。特に、教員向けのワークショップなどでは、それぞれが違う土台の上に立って「たんきゅう」について語っているなぁと感じることがよくあります。

私の中でも探究は複数の意味をもっています。探究とは生き方そのものだと思うし、人間は生まれながらにして探究的な生き物だとも思います。ただ、今回のブログマラソンでは、「概念型探究」という(学校教育の中での)学びのアプローチに限定して話を進めていく予定です。

(「概念型探究」とはなんぞや・・・については、次回!)

 

私が「概念型探究」と出逢ったのは、教師になって2年目の終わりの頃だったと思います。正確には、そのときに出逢ったのは、国際バカロレア初等教育プログラム(PYP)でした。もともと、自己流で合科型の授業をしていた私にとって、PYPのカリキュラムや単元構成はとても魅力的に感じられました。枠組みはしっかりしているけれど、コンテンツは自由自在。すぐに、見様見真似で授業に取り入れ始めました。

試行錯誤を繰り返していく中でいろいろな参考文献にあたっていると、実は「概念型カリキュラム」(Concept-Based Curriculum)とは留学していた学生時代に付き合いがあったことがわかりました。あの時の、異国の地で同郷出身者に出会ったかのような不思議な感覚!(笑)と、同時に、あーこれはやっぱりきちんと系統的に学ばないと!!と次の目標が見えてきました。

 

ところが、その当時、国内にはPYPについて学べる大学院のプログラムがまだなくて、結局は一度離職して進学することとなりました。まぁ、この大学院生活がいろいろと紆余曲折があり、学部生の頃の留学とは全く様子が違って。。。現場を離れて研究にエネルギーを費やせたり、アメリカ国内だけでなくヨーロッパの学校を見て周ることができたりと貴重な経験もたくさんあったのですが、無事に卒業するまではなかなか大変でした。

でも、今思い返すと、このときに私がやっていたことは、まさに探究の個人プロジェクトだったんだろうなー。学部生の頃は、やっぱり、まだまだ大人(教授陣やスタッフ)が手を貸してくれる guided inquiry だったけれど、大学院生は本当に放っておかれるからこその open inquiry という感じ。スキルを身につけることの重要性を改めて認識したのもこのタイミングだったのかもしれません。探究によって、道が切り拓かれるということを身をもって体感できたことは、その後子どもたちと探究を展開していく上で、とても大きな財産だったのだと強く実感しています。

 

そして、ありがたいことに、PYPの導入を考えている学校で教壇に戻ることができて、そこからは、概念型探究の実践に奮闘する日々が何年も続きました。単純計算で1年に300時間以上の「探究の時間」を重ねていくと、大人も子どもも、否が応でも力はつきます。どうしていいのかわからないことは、たくさんありましたが、毎回の「探究の時間」にとてもわくわくしていました。子どもたちの大きな成長を目の当たりにすることがすごく嬉しかった!何より、みんなで試行錯誤することが楽しいんです!!!

 

IB(国際バカロレア)では、様々な研修の機会が用意されているので、本人にその気があればいくらでも教師としての力を磨くことができます。果てしなく広がる(ように見える)修行の道は、大きなポテンシャルの証のようで、無我夢中で学んでいました。誰彼なく捕まえて、探究について力説していた傍迷惑な時期もありました。。。(笑)

 

その熱が少し治まった頃には、「探究の時間」は私の教育実践にとって、特別な存在ではなくなっていました。日常の風景として、いつでもそこにある。そんな空気の中で、私の役割は徐々に授業実践からカリキュラムデザインへとシフトしていくことになったのです。

そして、そこでまた一つの壁にぶつかりました。私にとっては、わくわくの宝庫でしかなかった「探究の時間」の設計や実践は、ある種の教員にとっては苦しみでしかない・・・。私は、そういう教員や経験の浅い教員へのサポートに頭を悩ませました。適性や資質が関係しているんだろうか?そのクラスの子どもたちへのサポートと教員へのサポートが乖離してしまう。。。いろいろと試していく中で、「概念型のカリキュラムと指導」公認トレーナー養成講座を受講することを決めました。(↓来期の案内はこちら!)

 

retreats.professionallearninginternational.com

 

〈自分の実践を磨く〉から〈他者へのサポート方法を学ぶ〉ことへの転換期。約1年間に及ぶこのオンライン講座もようやく終わりが見えてきた今、概念型探究の魅力を伝えることにかけてはちょっとした自信があります!この1年間で多くの「概念型探究ビギナー」の授業設計をサポートできたことに、子どもたちとの充実した探究の時間とは違った種類の達成感を味わってもいます。

 

これからどんな教育実践を重ねていくとしても、またどんな立場で教育に関わっていくとしても、私にとって概念型探究が大きな核であり続けることは変わらないだろうなぁ。それが、今の率直な気持ちです。

 

 

明日2日目は、【概念型探究と学級づくり】をお届けします!

 

原点 〜カリフォルニア州での銃乱射事件を受けて〜

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 世の中の多くの人々よりも1日遅れて大型連休が始まった私のもとに、びっくりするようなニュースが飛び込んできてからもう1週間。

本当にたくさんのことを考える毎日の中、私自身の原点に立ち返る機会となっています。

様々なバックグラウンドを持つ人々が、手を取り合いながら笑って過ごせる日々にしたい

将来について考えるように言われた私の高校生の時の言葉。

サンディエゴ郊外での銃撃事件を聞いてから、いろいろと掘り返していて見つけました。

 

日本では(たぶん)ほとんど報道されなかったこのニュースで唯一亡くなった女性は、私が学生時代に半年間参加した国際教育プログラムの同窓生でした。とは言っても世代が違うので、直接お会いしたことはないのですが・・・。

ユダヤ教にとって大きな祭日にあたるこの日、礼拝所には100人ほどの人が集まっていたそうです。そこに銃を片手に入ってきた男性。ユダヤ教の指導者であるラビをかばって、彼女は自分の身体を投げ出し銃撃されました。

www.afpbb.com

 

日本にいる私たちにとって、アメリカでの銃乱射事件はすでに珍しいニュースではなくなってきたと感じています。(実際に、この後にノースカロライナ大学でもまた事件が・・・)同窓生のネットワークがなければ、私もこの事件の詳細についてここまで知ることはなかったでしょう。

まず、そのことに頭を殴られた気がしました。

 

いつの間にこんな恐ろしいニュースに慣れてしまったんだろう。

 

そして、Loriさんが、プログラムに参加してから何十年にも渡ってUp With Peopleのミッションを体現していたことへの敬意が溢れてきました。

Facebook Groupには多くのエピソードが寄せられ、この1週間私以外にもたくさんの同窓生が、このプログラムから受けた大きな影響と恩恵に思いを巡らせています。

 

30カ国以上から集まった200人近いメンバーと共に過ごしたかけがえのない時間。地球市民として、教育者としての私にとっての大きな原点となりました。

育ってきた環境から起こる違いを乗り越えることの難しさと大切さを痛感すると同時に、こんなにも多くの人々が同じ志を持っていることに勇気付けられる。そんな経験を半年間で幾度も繰り返しました。

私が2度もヨーロッパの長期旅行を敢行できたのも、北米のそこかしこでホームステイを楽しめるのも、様々な地域の学校を訪問できるのも、全てこの時の仲間たちのおかげです。

 

実は、このブログのタイトル、Journey On はUp With Peopleの一番新しいショーのタイトルでもあります。(私たちの時は、A Common Beat でした)

 


Journey On - Up With People

 

 

高校生の時の思いと、このプログラムを通して得た経験があったからこそ、私なりのメッセージを伝えたくて小学校で教えることを選びました。

 

世界は広いんだよ。

顔を背けたくなるようなこともいっぱいあるけれど、素晴らしい輝きに満ち溢れたこともたくさん起こっている世界。

悲しいことや酷いことばかりに取り巻かれている人々が生きる不公平な世界でもある。

そのギャップを埋めるために、恵まれた環境に生きる私たちこそが力を培っていかなきゃいけない。

 

学校教育に携わるものとしては、効果や効率、再現性からは逃れられない。

でも、大切なことはそこじゃない。

どれだけ考えたって、「いい学校」や「良い教育」に対する答えなんて出るわけない。one fits allはあり得ない。

日々の雑事に忙殺されて、大事なことを伝え忘れているようじゃ世界は変えられない。

様々なバックグラウンドを持つ人が、手を取り合いながら笑って過ごせる日々なんてつくれない。

 

 

あれやこれや、役割や肩書きが増えても大切なことは変わらないんだ。変えちゃいけないんだということを改めて強く感じています。

また、残念ながら私はそういうことを常日頃思い続けるということに向いていないんだなということも。

去年の夏にホロコーストミュージアムを訪れたときの衝撃を、思いを新たにしたことをこんなにも簡単に「思い出」に変えてしまえるなんて、我ながら情けないです。。。(ブログに記してあって、本当によかった)

 

norainnorainbows1718.hatenablog.jp

 

この投稿のトップの写真はホロコーストミュージアムの中でも、特に圧倒され、感情が揺れ動いた展示の一つ。

私自身への戒めとして。

 

 

自由の相互承認 〜自由 vs. 好きなこと〜

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新年度が始まって、教室に元気な声が戻ってきました。

教室から見える景色が変わったぐらいで、あまり大きな変化のなかった今年はどの子も例年よりスムーズに「日常」に戻ることができているようです。 

久々にクラス替えもない持ちあがりの今年度。学級のことに限って言えば、私も比較的余裕のある2週間でした。

子どもたちにとっても、私にとっても、変化の少ないスタートというメリットを最大限に活かして、始業式の翌日から一気にUnit 1に飛び込みました!!

始業式の朝、子どもたちが登校するところから様々な布石を仕込んでいたことが功をそうしたのか、はたまた、昨年度の積み重ねが大きかったのか、今年度初の探究の時間も

 

「やっぱり、探究超楽しい〜!!!!!」

 

「3学期とはまた違った内容でおもしろくなりそう!」

 

との振り返り。

 

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今回のユニットは、自由、権利、責任についての探究。

ついにプランナーにも、「自由の相互承認」という言葉が入れられたことに、個人的には大興奮!

苫野一徳さんの著書『教育の力』を読んでからずっと、このユニットでこそ自由の相互承認について徹底的に探究していきたい!!と思っていたので、ここからどのように展開されていくのか本当に楽しみです。

 

時期的にも学級づくりを兼ねて、対話を重ねながら、あちらこちら寄り道しながら、少しずつセントラルアイディアに向かっていく6週間。

教室の中にいるのがもったいないような日は、外に出て過ごすことも。

「好きなことをしていいよ。」

「自由にしていいよ。」

「何をしてもいいけど、1人で過ごします。」

「1人で過ごしてはいけません。でも、言葉を話したり、口から音を出してはいけません。」

5〜10分ぐらいに区切っていろいろと試しては振り返る。

どんなことをした?どんな気持ちだった?なぜ、そう思ったんだろう?

 

昨日までに10時間程度が終わりました。

興味深いのは、初日に聞いたときに「自由が好きである」にNoと答えた子が19人もいたこと!

(ちなみに、板書1枚目の左側のアンケートの問いは、①「自分は自由である」②「日本は自由な国である」③「世界に自由な国はある」④「自由が好きである」)

 

外で過ごした時も、「好きなことをしていいよ。」の時間の方が、「自由にしていいよ。」よりも楽しかったという子が半数以上。

振り返りの多くでは、言葉や表現は違っても

 

「好きなこと」=自分勝手に振舞ってもいい

 

「自由」=見えないけれど枠がある!?!?→だから、何となく不安?

 

というようなことが書かれていました。

 

本当に面白い!